じざかなかまの声
姫島漁師の嫁
吉村 康子さん
(志摩の海鮮丼屋スタッフ)
前原で生まれ育ったのに、正直、糸島に「姫島」っていう島があることさえ知りませんでした。
そんな私が、姫島の漁師の嫁になるなんて・・・。
夫と知り合ったのは21歳の時。
結婚して島に渡った当初は、まったくの別世界にいるみたいでした。
漁村は、みんなが親戚みたいな感じです。
同じ名字が多いから、下の名前で呼び合ってるんです。大きな家族みたい。
姫島は、仕事といえばほとんど漁師か漁協職員、あとは渡船でしょうか。すごく密なコミュニティーだけど、居心地が良くて、どの家でも長男は家の漁を継いでいます。
年に1回、姫島大文化祭っていう行事があります。私の子どもたちが小学生の頃は、島の歴史を伝える劇をやっていたんですよ。昔ブリがいっぱい獲れていたこと、獲れたブリの売上げで中学校が建ったこと、台風で家が崩れて、亡くなった人がいたこと等を伝えていました。
最近は子どもの数が減って、劇もできなくなったんですけどね。
島ではみんなが、うちの子を自分の子どものように叱ってくれたし、見ていてくれていたから、すごく子育てしやすかったですよ。
漁師に嫁いだんですから、漁船にも乗っていました。夫と一緒に10年ぐらいですね。一双吾智網、ヒラメの刺網漁、延縄漁とかやっていました。
初めはかなり船酔いしました。中々慣れなかったです。
漁師の仕事は、海の仕事のほかに網捌きとか、餌掛けとか、陸の仕事もいろいろあります。もちろん、家事もありました。
子どもは3人いますが、1番下の娘が1歳になるかならんかっていう子育ての時期でしたから。
結構しんどかったですね。
水産高校に行った息子が島に戻って来て、私は船から下りました。陸に上がって数年後、志摩の海鮮丼屋がオープンし、縁あってオープンからスタッフとして関わっています。
馬淵社長を見ていると、漁師との太い絆ができているように思います。
なかなか、漁師が買い手側と信頼関係を作っていくっていうのは、簡単ではないですよ。
私が漁師でしたからわかります。
漁師の立場から見ると、馬淵社長の魚の買い方は信頼されると思うんです。「値段を下げて」とか絶対言いませんから。
値切らないことが漁業関係者みんなに伝わっているから、とっておきの魚が獲れた時、漁師さんが「8キロのヒラスが入ったっちゃけど、海鮮丼にどうかいな」とか言いに来てくれるんです。
私自身が漁に出ていたから分かるけど、いい魚が揚がったとき、その価値をちゃんとわかって、買い上げて、大事にしてもらえるというのは、本当にありがたいことなんです。
志摩の海鮮丼屋にいると、漁師と馬淵社長が、互いを大事にしあっているのが見えます。
漁師と買い手という両方の立場がわかる私は、すごく嬉しいです。
正直な話、漁師だったころは、取った魚は、ただ売れればいいって思ってたんですよ。
志摩の海鮮丼屋で働くようになってから、どんな風にお客さんが買われるかも見えるようになって。考え方が、がらりと変わりました。
漁師も魚の価値を上げるための工夫が必要だってことに、気づいたんです。
例えば、魚の鮮度を保つために、「朝絞めしたらいいよ!」って漁師さんに言うようになりました。
姫島は、夜中の1時や2時の運搬船で運んでくるから、なかなか朝絞めってできないんですけどね。とっておきの魚は、なんとか工夫して価値を上げることも大切だ、と漁師さんに伝えています。
地魚BANKは、そんな売り手と買い手をつなぐ活動。お互いの暮らしやニーズを見えやすくして、地魚の価値を一緒に高めていこうという取り組みです。
小さなことかもしれないけど、私自身、漁師として魚を売る立場から、海鮮丼屋で魚を食べていただくお客さまと顔を合わせるようになって、すごく実感したことがあります。
食べ終わって、食器を返却してもらう時、「美味しかったです!」とか、「また来ます」って言っていただくことが、本当に嬉しいんです!
漁師のときは、売るまでしか考えなかったけど、食べてくれる人たちとの「つながり」って、本当に力になります。
私は今、地魚BANKの加工所「地魚ラボ」も手伝っていて、サゴシのみりん干しとか、姫島に伝わる地魚料理のレシピを教えたりしています。あと姫島の定置網にかかる小魚で黒ムツという美味しい魚が居るのですが、中々知られて無くて直売所では売れ残ったりしています。この黒ムツを使ったアンチョビ作りにも挑戦しています。
今後、地魚BANKの取り組みから、食べる側の人の関心が、地魚のこと、地域のことにも広がり、私の住む姫島にも遊びに来てもらえるようになったらいいなあ、と思っています。